聖書に記された“蜂蜜”

「乳と蜜の流れる地」はエジプト脱出のスローガン?

聖書には”a land flowing with milk and honey(乳と蜜の流れる地)”という言葉が度々登場します。
これは紀元前14世紀中頃のこと、モーセに率いられてエジプトを脱出するイスラエルの民に神:ヤハウェが約束した定住地:カナンを形容するフレーズです(出エジプト記-3:8)。cf.1
その意味するところはなにか?
危険を冒し、艱難辛苦を乗り越えて向かおうとする目的地を形容するのですから、その旅を是が非にも成功に導かれるように、目的地の豊かさや魅力を表しているはずです。
もしもこれが「いばらの蔓延る地」だったりしたら、よほどのへそ曲がりかM体質でない限りエジプト脱出は出発前に頓挫していたでしょうから。

cf.1:モーセとイスラエルの民によるエジプト脱出の年代には諸説が存在するようです。よくいわれている説には、トトメス3世(在位BC1473〜1458)の時代、アメンホテプ2世(在位BC1453〜1419)の時代、第19王朝3代のラムセス2世(在位BC1290~1224年)の時代があげられています。
ここでは、S.フロイトが『モーセと一神教』で述べたアクナテン(新王国時代 第18王朝第4代王)死後の空位時代を採っています。

それにしても「乳と蜜」とはまたなんと慎ましいことか。
「金銀財宝がザクザク掘り出せる地」でもよかったでしょうに。
まあとにかく「乳と蜜」が豊かさを表しているとの解釈は、古今東西で概して同じような状況のようです。周囲を見回せば、お菓子やスィーツ、飲み物、さらには石けんや化粧品など、あちらこちらで「milk and honey」や「ミルクとハチミツ」のフレーズを見かけます。
実際のところ、こうしたセールスコピーやネーミングの多くは、ただ単にミルクとハチミツの組み合わせが素晴らしいから、美味しいからという理由なのでしょう。あるいは出典元の聖書が意味するところとは既に関係のないものでしょう。
でも……、それでも……。キリスト教やユダヤ教が文化的背景として存在する地域であれば、”milk and honey” と聞けば、そこにはある種の”authenticity(=宗教的正統性)” がつきまとっているのではないかと邪推したくなります。
一方、私たち日本人にとってはどうでしょうか。
別に神に選ばれた民というわけでもなく、どちらかといえば聖書にも縁遠い私たちですが、”milk and honey”を冠せられた商品は決して少なくありません。”milk and honey” という言葉に対し、西洋文化の豊かさへの憧憬が知らず知らずのうちに働いているのかもしれません。いわば西洋的なイメージ演出のためのセールスコピーということでしょうか。cf.2

“milk and honey” を英和辞書で調べると予想どおりに「生活の豊かさ、豊富さ、楽しさ」を表す成句として成立していることがわかります。
旧約聖書の記述言語:ヘブライ語では “milk” は [chalab=ハラァブ]、”honey” は [debash=デバッシュ]とのこと。
で、”milk and honey”を猶英辞書で調べると、”milk and honey are often joined together as being delicacies provided by nature”とあります。cf.3

おそらく「乳と蜜」はずいぶんと古い時代から、もしかすると金や銀と同じくらい、あるいはもっと古くから豊かさの象徴的意味を担ってきたのかもしれません。

cf.2:今ではほとんど聞かれれなくなった「バタ臭い(バターくさい)」という形容句は、いわゆる「西洋かぶれ」を揶揄する侮蔑の言葉だったようです。この言葉には明治以降の近代化の過程のなか、西洋への憧憬の眼差しが自らのidentityに対する自尊心を傷つけてしまうというアンビヴァレントな心情(古いタイプの日本人にありがち??)がよく表れているように思われます。
一方 “milk & honey” には「バタ臭い」にあるような双価性は既になく、西洋への憧憬と自らの出自との間にギャップのないストレートな心情が伺えるように感じられます。いってみれば福沢諭吉が唱えた「脱亜入欧」がようやく成就したということでしょうか。

cf.3:ちなみに組み合わせを変えて “milk-and-water” にすると「力のない、つまらない、気の抜けた、生気のない」とまったく反対の意味となるようです。

イスラエルで紀元前10世紀ごろの養蜂跡が発見される

2007年9月、ヘブライ大学広報部によると「イスラエル・ガリラヤ湖南岸から南へ数十km離れた”Tel Rehov”という場所で、古代の産業規模の養蜂所跡が発見された」と伝えています。

実はこの記事を読んでいて二重に奇妙に感じられました。
理由のひとつは「乳と蜜の流れる地」というのは「豊かな土地」のメタファだと理解していたからです。
考古学的な実証性が重要なことは十分に認めるとしても、「乳と蜜の流れる地」というフレーズが事実として文字通り乳や蜜が流れていたことを意味するとは考え難い(かえって暮らしづらいでしょうに)。まあ、よくいって自給するだけでなく、少しは商える程度に収穫可能な豊かな草原や森があるということだろうと解釈していました。

奇妙に感じたもうひとつの理由は、上述記事中に次のような記述があったからです。

The term “honey” appears 55 times in the Bible, 16 of which as part of the image of Israel as “the land of milk and honey”. It is commonly believed that the term refers to honey produced from fruits such as dates and figs.

「えっ! そうっだったの?」と、正直、驚きました。
旧約聖書の中でたびたび登場する「乳と蜜の流れる地」で言及されている「蜜」というのは当然の如く蜂蜜だと思い込んでいたからです。
約束された蜜がナツメヤシやイチジクからつくられたものだったりしたら、「これは詐欺だ!」とクレーム、いやことによったらリコール問題にだってなりかねないと、思わずツッコミをいれるところです。もちろん、ナツメヤシやイチジクからつくられた蜜がニセモノやインチキだといっているのではありません。
ちなみに”dates honey”で検索してみると下の写真のようなそれと思しき製品がたくさん見つかります(とても美味しそう)。イラン製の品物が多く見受けられましたが、旧約聖書の舞台であるイスラエル、パレスチナも含めて中近東あたりではかなりポピュラーなもののようで、あるニューヨーカーのブログにはレシピが載っていました。

もしかすると、これらのような製品がごく一般的に流通していることが、ハチミツではなく果蜜だと考えることを促しているのかもしれません。
さらに”honey” in the Bibleで検索すると、ハチミツか果蜜かについての記述や議論が散見されます。

とにもかくにも上述のヘブライ大学の記事では、milk and honeyの蜜が果物から作られたものと一般的に解釈(誤解?)される理由として「聖書に養蜂についての記述がない」ことがあげられていました。そして今回の古代養蜂所跡の発見によって聖書の「乳と蜜」の蜜が蜂蜜だと考古学的に実証された(メデタシ、メデタシ)という文脈になっているようです。

聖書の中で混乱するナツメヤシ蜜と蜂蜜

たとえば、私たちが使用する「蜜」という漢字の字形には「虫」という字が組み込まれています。そのため、ミツといえば、当然ハチミツのことだと考えます。その一方で、デンプンや糖からつくられたミツの方にこそ「糖蜜」や「黒蜜」などとそれぞれの出自や特徴を表す文字を補って熟語とする必要があるように感じられます。
中国人をはじめ漢字を使用する私たちだけの特殊事情かと思うところですが、なんとヘブライ語の[debash=デバッシュ]という言葉にも、蜜蜂を表す[deborah=デボラ]と同じ語根部[deb]があるのです。
理屈からいえば事情は私たちと似たようなもの、漢字を使用する私たちと同じように彼らも[debash=デバッシュ]といえば当然のようにハチミツと考えるのではないか……。

ところでこの [deborah=デボラ] という言葉は、蜜蜂を意味する言葉としてよりも女性の名前として広く知られています(デボラさんはミツバチさんなんですね)。もちろんその出典も旧約聖書の士師記=Judgesに登場する女性の名前です。
士師記とは、エジプト脱出を果たしたイスラエルの民がカナンの地に定着していく時代(およそ400年間)の物語です。Wikipaedia 士師記 >
この古代イスラエルの建国時代に登場するデボラという女性は、エジプト脱出を率いたモーセの後を継いだヨシュアに続く建国時代の士師(いわばリーダー的存在)の一人。初代のユダ、オテニエル、エホデに続く4代目の士師(モーセから数えて6代目のリーダー)。自らが任命した士師バラクとともに当時イスラエルの民を支配していた国の軍隊を打ち破りイスラエルの民を解放したとされる英雄です。Wikipaedia デボラ >

古代イスラエルの英雄でもあるデボラがミツバチを意味することを考えると、約束の地・カナンに流れていたのは、やはりハチミツであったと考えるのが妥当ではないか。
ところが事はそう単純ではないようで、聖書のなかでデボラが登場する場面は次のように記述されています。

She lived under the palm tree of Deborah between Ramah and Bethel in the hill-country of Ephraim(Judges 4:5)”

彼女の住み処を示す“palm tree”とはナツメヤシのこと。
何だか奇妙というか、きな臭いでしょう?。
さらにそのナツメヤシは偶然そこにあったという記述ではなく、デボラとナツメヤシとの結びつきを強調するかのように、前置詞“of”でデボラの名前とわざわざ結びつけられています。
ハチミツとナツメヤシ蜜の取り違えをミスリードするかのような記述に思えてきませんか?
いったいナゼ?、どういうこと?
To be continued.

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